ウルトラQ〜dark fantasy〜番組レポート/しー坊主

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ウルトラQ〜dark fantasy〜あなたは誰ですか
ピピッ、ピピッ……。男は目覚めた。時計を見やるとam7:33だった。
おかしい。毎朝am7:35にセットしてあるはずだ。
首を傾げ、ベッドから這い出し、スリッパを履く。これも変だ。
どこか一回り小さく感じられる。
「ありえないよ、そんなこと。」
タンスの上にお行儀よく座っている人形が、いつもと違う言葉を発した。
違和感を抱えたままドアを開ける。
昨日までスムーズに開いていたドアが、今日は軋んだ。階段も一段多い気がする。
リビングの花は赤だった。これも昨日までは確か、黄色……。
窓の外も、天井の高さも、妻が無感情に朗読する『源氏物語』でさえも、皆いつもと変わりない朝なのに、微妙な違和感だけがやけに残る。
日常の些細なずれが、どうしようもなく気にかかるのだ。今いるこの世界が、まるで別のものであるかのように……。

「そんなふうに思ったことって、ありませんか?」理髪店を営む山崎純は、客に問いかけた。
「ああ、なんとなくわかるよ。」客が答える。自分だけがそう感じているのではないことに、山崎は安堵した。
「よかった。変なこと言うヤツだと思われたらどうしようかと……」「そんなことよりおまえ、まだ気がつかねえのかよ。」
「えっ?」 その客の言葉に怪訝な顔つきで、彼が映る鏡をまじまじと見つめた。はたと思い出す。
「陽一郎か?」「気づくのが遅せえよ。」
 懐かしさが込み上げる。その客は、小学校時代の旧友・陽一郎だった。
「しかし、おまえが理容師とはね。確かおまえの親父さん、なんとかっていう研究所やってたよな。継がなかったのか?」
 陽一郎の問いに、研究所は性に合わないこと、父は3年前に他界したことなどを話した。
「ふうん。」陽一郎は仲良し4人組の一人だ。林間学校のあの日も4人一緒に行動していた。
そこで山崎の思考が止まる。「陽一郎、おまえ……、死んだはずじゃ……」
その晩、2人は焼肉屋で談笑した。陽一郎は渡米していたと言う。
「ほんっと、ごめん。」 山崎は旧友陽一郎に、何度も頭を下げた。
目の前にいる旧友は間違いなく生きている。それをなぜ死んだものだと思い込んでいたのだろう。
返す返すも勘違いに恐縮するばかりだ。
その後立ち寄った母校の校庭でも、昔話に花が咲く。
「望月もあけみちゃんも元気だよ。」4人組のうち、残り2人の近況報告もした。
「おまえ、あけみに告白したろ。」親友しか知りえない秘密に、山崎は顔を赤らめた。
  翌日、山崎はもう一人の旧友望月に前日の話をした。意に反して望月は眉をひそめる。
「ばーか、なに言ってんだ、おまえ。死んでるよ、陽一郎は。」 望月の返答に、山崎は困惑の笑みを返す。
まさか、そんなはずはない。現に昨晩、行動を共にした。あれが陽一郎でないとしたら、彼はいったい誰だというのか。
「死んでるに決まってるじゃない、陽一郎は。」当時、山崎が想いを寄せていたあけみも否定する。
「私、あんなの絶対忘れない。」3人は回想した。
小学校の林間学校。4人はクラスの集団と離れ、独自のルートを辿っていた。
だが、次第に迷いはじめていることに、誰ともなく気づく。一同に不安の色が見え隠れした。
そんな中、陽一郎だけが無謀にも突き進む。その瞬間、陽一郎が彼らの視界から忽然と消えた。
足を滑らせ、崖から落ちたのだ。
慌てて彼を追う。見ると、血まみれの陽一郎が横たわっていた。
おそるおそる近づくと、3人は陽一郎を取り囲むようにして覗き込んだ。すでに息は絶えている。
「こっち見てるよ。」望月が声を震わせる。
「下半身はうつ伏せなのに、上半身はこっちを向いてる……。」「いいよ、いちいち解説しなくて。」
露骨に嫌悪を示す山崎の横で、あけみが思わず口を覆っていた。
とにかく、陽一郎は死んだのだ。あの忌まわしい林間学校で。
山崎は帰宅後、ゆっくり卒業アルバムを確認しようとリビングのソファに腰掛けた。
「むかしおとこういこうぶりしてならのみやこかすがのさとにしるよししてかりにいにけりそのさとにいと……」
抑揚のない妻の朗読に苛つく。ラジカセから流れる怪しげなインストゥルメンタルも、余計に彼を苛立たせた。
たまらず山崎は自室に逃げ込んだ。
今度こそ心を落ち着けて卒業アルバムをめくる。あけみの笑顔に、ついこちらの頬も緩む。
そして望月、陽一郎……と指で辿った。
「いるじゃないか。」
この写真が撮られたのが林間学校の後だから、仮にそのとき陽一郎が死んでいたとしたら、彼はここには写っていないはずだ。
ふと思いついた。ここに写っていないのが、林間学校で死んだ生徒だ。山崎は再び、指で一人一人を追った。
いない。確かに一人足りない。やにわに蒼褪める。彼はもう一度確認した。他のクラスもしらみつぶしに調べた。
だが、やはりいなかった。そう。自分だけがいないのだ。
不意に目にした卒業文集が、さらに彼を打ちのめす。
そこには、林間学校で一人の生徒が亡くなったこと、そしてその生徒の名が「山崎純」であることがつづられていたのだ。
突如、記憶が甦る。
あの日、林間学校で足を滑らせ、崖下に転落したのは、山崎自身だった。
憶えている。それから、自分の顔を覗き込む三人の顔も。
「こっち見てるよ。」望月が声を震わせる。
「下半身はうつ伏せなのに、上半身はこっちを向いてる……。」
「いいよ、いちいち解説しなくて。」露骨に嫌悪を示す陽一郎の横で、あけみが思わず口を覆っていた。
山崎はわななき、ゆらりと立ち上がった。「じゃ、今いるこの世界は……」
山崎は無我夢中で、転げんばかりに階段を駆け降りた。
そして息切らしリビングに飛び込むと、妻に向かって声を荒げた。
「僕は死んでいないよな!」妻は初めて夫の言葉に反応した。「そうよ。」
だが、歓喜に満ちた妻を見ても、まだ不安は拭い去れない。彼は再度訴える。
「君と結婚したのは8年前だ!」「そう。」「僕にはずっと記憶がある!」「そう!」
妻の笑顔に、山崎は失いかけた自信を取り戻そうとしていた。が……。
「おまえはもう死んでるんだよ。」気持ち面倒臭そうな声でリビングに入ってきたのは、白衣姿の陽一郎だった。
「やめなさいよ。」「ほっとけよ。」
陽一郎に続き、あけみと望月も姿を現した。どうしたことか、この2人も白衣を着ている。<陽一郎はまたも言う。
「こんなもの保管していてもしょうがないだろ。」「どうして聞こえないの? 彼は言っているのよ。僕はまだ死んでないって。」
背後から自分を擁護する妻の声が聞こえた。今や山崎にとって、唯一の味方は妻だけだ。救いを求め、彼は振り返る。と、同時に愕然とした。
そこで目にした妻も、白衣を着ていたのである。
得体の知れない恐怖に戦慄が走る。そのとき見知らぬ誰かが、庭からガラス越しにリビングを覗いた。
山崎もそれに気づく。不思議そうに山崎を見つめる若い男女2人組。
大衆記者の坂本剛一とフリーカメラマン楠木涼がそれだった。
カプセルに収められた一体の脳を、ガラス越しに好奇の眼差しで見つめる坂本と涼。
ここはリビング……ではなく、とある研究所の一室だった。
「こんな栄養チューブなんか意味ない。一度死んだ脳が生き返るなんてアメリカでも例がないよ。」
アメリカ帰りの陽一郎は言い捨てる。つまり彼が説明するにはこうだ。
この脳は、ここの研究所の所長の息子のものである。
しかしその所長も3年間前に他界したので、もう息子の脳を生かしておく理由もないのではないか、と。
「いいえ、彼はまだ生きているのよ。」 その脳の機能を完全に停止してしまうことに、強い抵抗を示す女がいた。
「音楽を聴かせてやると喜ぶの。」そう言うと彼女は、例の怪しげなインストゥルメンタルを流しはじめた。
それに反応したのか、カプセル内の脳につながれたセンサーが苦しげに光る。
さらに彼女は椅子に腰掛け、一冊の本を開いた。
「いづれのおんときにかにょうごこういあまたさぶらいたまいけるなかにいとやんごとなききわにはあらぬが……」
 『源氏物語』だ。微妙な違和感に気づいたあの朝もこれを聞かされた。
それは、山崎が現実だと思い込んでいた日常における彼の妻の朗読だった。
実に8年前より続けられていたという。
「腹減ったな。」 陽一郎はおもむろに立ち上がり、腹をさすった。
あけみも賛同し、坂本と涼に笑顔を向けた。
「お昼、ご一緒しませんか。味噌汁と焼き魚くらいしか作れませんけど。」「こいつ、味噌汁だけは美味いんですよ。」
からかう望月にあけみは憮然とする。坂本と涼は彼らの好意に甘えることにした。
朗読を続ける女を呆れ気味に一瞥し、5人は研究所を後にする。
「生きてる脳かぁ……。」地上への階段を昇りながら坂本が呟いた。
最後尾からついてゆく涼は、ふと足を止める。
「なーんか見てる気がするんだよね、こっちを……。」その愛らしくつぶらな瞳をさらに丸くして、階段から脳を注視していた。

ピピッ、ピピッ……。山崎は目覚めた。時計を見やるとam7:35だった。
滑稽にもほっとする。スリッパも、いつもの履き慣れたものだった。
タンスの上の人形は消えていた。ドアを開けても軋まない。階段の段数もいつも通りだ。
自然と笑顔がほころぶ。
キッチンでは、妻あけみが味噌汁を作っているところだった。これが山崎の本来の日常なのだ。
「それは、おかしな夢ねぇ。」食卓を囲み、あけみが言う。彼女の横で、母親似の愛娘も呼応した。
「ありえないよ、そんなこと。」どこかで聞いた台詞だ。微かな違和感を抱くような……。
だが、すぐにその違和感は消滅していた。
食卓には味噌汁と焼き魚がある。いつもと変わらない光景に喜びを噛みしめた。
「美味い。」食卓に和やかな空気が満ち溢れる。窓辺の花は黄色い。
そう、これが本物の日常。現実の世界なのだから。

「そりゃ、おかしな夢だよな。」理髪店を営む陽一郎は、山崎の髪を散髪しながら笑った。
「そうだろ。」「しかし、望月が死んでもう25年になるのか。」「そうだな……。」
感慨深げに相槌を打つ。遠いあの日、林間学校で崖から転落死したのは、望月だったのだ。
スーツ姿の山崎は勤務先へ向かうべく、公園を横切る。
彼は現在、父親の遺した研究所を継いでいた。これも彼の日常。普段となんら変わりない生活。
そのときだ。背後から襲う見えない恐怖に震撼した。
「あなたはまだ生きているのよ!」
聞き覚えのある声だ。できれば二度と聞きたくない。このまま何事もなかったかのように通り過ぎてしまいたい。
だが、自分はそれを確かめなければならない。得体の知れない恐怖の源を確かめずにはいられない。
意を決し、振り返る。果たしてそこには、池の畔のベンチに座り朗読し続ける女の姿があった。
「ヨーロッパの妖怪が徘徊している共産主義という名の妖怪である古いヨーロッパのすべての……」
夢の中の妻だ。山崎はうろたえ、辺りを見回した。
「どれだ。どれが本当の僕なんだ。」
愕然と碧空を仰ぐ。おかしい。これが自分の日常ではなかったのか。おかしい。
「……?」あの空もどこかおかしい。
ボロリ……ボロリ……。空が破片を落としている。小さな破片はやがて大きなかけらとなり、蒼い空をはがしてゆく。
はがされ穴が開いた部分から、不気味に歪んだ闇があざ笑うかのごとくこっちを見た。

昨日のあなたと今日のあなたは同じ人ですか
あなたは一貫して本当のあなたであると言い切れますか
闇の向こうにあるのは、夢か現か。虚妄か真如か。
アンバランスが生み出す恐怖に頭をかきむしり、山崎はその場に膝から崩れ堕ちた。
ウルトラQ〜dark fantasy〜【パズルの女】
爽やかな朝だった。
医薬品卸の営業マン望月は、歯ブラシをくわえたまま伸びをした。気持ちよく 晴れた空に気を良くし、郵便受けの配達物を手に取る。
コトン……。蓋を閉めてから気づいた。一通取り忘れたようだ。再び郵便受け を開け、一つ取り残された白い封筒を取り出した。
「望月様」。表にはそれだけだった。不審に思い裏返す。差出人の名はない。
代わりにハートが翼をつけたシール…さしずめエンジェルでも気取っているつも りだろうか、それがしおらしく封を飾っていた。
いぶかしみながらも部屋に戻り、その封を開ける。
「パズル……?」
封筒の中身は数十ピースのパズルだった。パズルのピースを見たら、完成させ てみたくなるのが人間の深層心理なのだろうか。それを受け取った望月も例外な く、そのパズルを組みはじめていた。
そのときはまだ、顔の見えない相手への恐怖よりも、好奇心という人間の性が わずかに勝っていたのかもしれない。
顔も声もわからない相手と気軽にメールで話せてしまう現代 あなたはそんな顔のない相手のメッセージに恐怖を感じたことはありませんか
顔のない相手から送られてきたパズルは、足首より下の部分だけだった。まだ 途中らしい。真っ白なパンプスを履き、草原の上にたたずむ細い足首には、銀の アンクレットが楚々と光っている。
ある日望月は、取引先の病院を出たところで、転倒した一人の老女が手荷物 をぶちまけているところに出くわした。
「大丈夫ですか?」
急ぎ駆け寄り、散らばった荷物を拾い集める。転がるりんごを追いかけ、車道 へも飛び出した。ふと何気なく車道の向こう側に置き去りにされたバイクに視線 を移す。
「……?」
目を見張った。そのバイクの下から優美に伸びた足が、こっちを見ている。バ イクの上に人の姿はない。明らかに白い足だけがそこには存在していた。 刮目する。あの足は見たことがある。白いパンプス、銀のアンクレット。あの パズルだ。誰からともなく送られてきた未完成のままのパズルそのものだ。
だが震撼する間もなく、望月は通りがかった車に危うく轢かれそうになる。間 一髪で、彼は大惨事を免れた。
その後、少しずつ送られてくる謎のパズルに不安を抱えるも、しかし作り続け ずにはいられないのであった。コツコツ……と忍び寄る恐怖に気づかないまま… …。
大衆紙を扱う出版社の一室に灯りが点っている。残業していたのは同社記者 の坂本剛一と、フリーカメラマン楠木涼だった。
2人はとある事件の謎を追っていた。過去一年以内に起きた3人の男性の自殺 だ。タクシー運転手・高校教師・介護士がその3人である。
ただの自殺になぜ事件性が絡むのか。坂本が書いた記事を含むこの3件の内容 に、涼のジャーナリストの血が騒ぐ。彼女は3人に、自殺の動機がないことに着 目していた。
「自殺の動機なんか本人しかわからないもんだろ。」
坂本の一蹴に、涼はにやりと食い下がる。
「なんか、ミステリアスな匂いがしない?」
夜更けに煙草を買いに出た望月はその帰り道、不気味な気配に足を止める。
おそるおそる振り返るが、誰もいない。気のせいかと再び歩みを進める。すると またもや同じ気配に襲われた。
コツコツ……と忍び寄る恐怖。見えない影におびえ、彼は一目散に駆け出して いた。無我夢中で部屋に飛び込みパズルを見る。
これなのか。このパズルのせいなのか。自分を追い詰めるのは、このパズルの 中の女なのか。バイクの下に足だけ見たのも、車に轢かれそうになったのも、す べてはこのパズルの為せる業なのか。
そのとき、またも彼を正体不明の恐怖が襲う。
「誰? 誰かそこにいるのか?」
玄関のドア越しに、見えない相手へ問いかける。返事はない。ならば物言わぬ 相手を見定めようと、腹を据えドアを押し開いた。
バンッ……! しかしドアを開けたと同時に、さっきからまとわりついていた 不気味な気配が消えた。反射的に外へ飛び出したが、闇の中にその正体を見出す ことは叶わなかった
後日、人影の消えたビル内でエレベーターに乗り込もうとする望月に、再び あの恐怖が訪れる。
コツコツ……。望月は取り乱し、慌てて「閉」ボタンを押した。しかし閉まる 寸前、パズルの白い足がぐっと扉を押さえ、閉まろうとするのを阻んだ。
「やめろ。来るな。消えてくれぇぇぇ!」
ゴトンッ! その瞬間、電灯が消え、エレベーターは闇の中を猛スピードで堕 ちていった。
「誰かっ! 止めてっ! エレベーターを止めてくれぇぇぇっっっ!!」
生まれて初めて遭遇する恐怖が、望月を気が狂わんばかりに叫ばせる。このま まどこまで堕ちてゆくというのだろう。早く、早く誰か、誰でもいいから止めて くれ。望月は必死で祈った。
と、その祈りが通じたのか、突如エレベーターの動きが止まる。助かったのか 。音もなく扉が開く。瞬時、身も凍る恐怖に悲鳴を上げた。
「うあああああああああああああああああああああああっっっ!!」
開いた扉の向こうから、あのパズルの足がこっちを見つめていたのだ。
頭を抱え、その場に突っ伏す。ぶるぶると全身を震わせる望月に、背後から近 づく影があった。
「望月……? おいっ、望月じゃねぇかっ!」
聞き覚えのある声に顔を上げる。
「…坂本……?」
友人坂本剛一の姿は、望月に正気を取り戻させた。
「パズルで作った女がつきまとってる?」
「ありえるのかな、そういうこと。」
「ありえないよ。」
自分の話を軽く受け流す坂本に、望月は真面目な顔で詰め寄る。彼は見えない 恐怖をとつとつと語りはじめた。次第に坂本も、その様子に尋常ではないものを 感じ取っていった。
どこから入手したのか涼は、坂本の机の上に例の自殺の現場写真を広げて見 せた。殺人と断定する涼を呆れ気味にあしらった後、坂本はその中の一枚に目を 留める。
「おい、これ。」
涼を呼び、その写真のある部分を指差す。坂本が指し示したのは、自殺現場に 落ちていた1ピースのパズルだった。
坂本はその自殺者が勤務していたというタクシー会社を訪ねた。そこで意外な 事実が浮かび上がったのである。
「そういえばあいつ、死ぬ前、柄にもなくパズル作ってたな。」
元同僚の言葉に、恐ろしい仮説が脳裏をよぎる。パズルを完成させてしまうと 死に至るというものだ。坂本は不安に駆られ、すぐさま望月と連絡を取った。
「今すぐパズルを作るのやめろ。」
「ああ、ありがと……。」
パズルはすでに首まで組まれている。あとは顔を残すのみだ。今日もまた送ら れてきた封筒を見つめながら、望月は複雑な胸中を隠せないでいた。
これを完成させてしまったら、自分は死ぬのだろうか。
両手で顔面を覆い、苦渋に満ちる。いったいどうしたらいい? 知らぬ間に抜 け出せない迷路に迷い込んだみたいだ。
そのときまたも背後に恐怖を感じた。振り向くと、顔のない女が立っていた。
未完成のパズルそのままの出で立ちで、彼女ははっきりと姿を現している。
恐怖に顔を歪ませ、一歩二歩と後ずさる。するとそれに合わせ、彼女もまた一 歩二歩と近づいてきた。さらに、透けた白い手がすぅーっと伸びたかと思うと、 細い指が望月の頚動脈をぎりぎりと締め上げた。
「ぬあああああああああああああああああああああああ……」
はっと飛び起きる。夢だった。
一方坂本は、自殺者の家族を訪ねていた。例のパズルを見せてもらうつもりだ 。だが母親の話によると、彼は完成直前で作るのを止め、あろうことかそれを燃 やしてしまったという。彼が自殺したのはその直後……。
「なんてこった。3人ともパズル作りをやめた途端死んでる。」
仕事帰りの望月は、何かに憑かれたような顔つきで夜道を一人とぼとぼ歩い ていた。近頃では、いつでもどこでもパズルの女に見られている気がしてならな い。
その晩もやはり、背後に気配を感じて振り返ったりしていた。だが、そこには 無機質な闇が広がるばかりだった。
気のせいかと思い、前を向き再び歩き出す。そのときだ。コツコツ……コツコ ツ……。今度は気のせいではない。間違いなくあの女が近づいてくる。コツコツ ……と。
車のヘッドライトが壁を照らす。そこに映し出された影は自分のものと、もう 一体、首から上のない……。
「……!」
戦慄が走ったそのときだ。ガバッ……! 背中から女の腕が望月に抱きついた 。
「のあああああああああああああああああああああああ!!!!」
懸命にその腕を振り解き、疾走する。そして、ほうほうの体で部屋に辿り着く と、封の空いていない封筒を引きちぎった。ばらばらと数十ピースのパズルが部 屋中に散らばる。さらに、テーブルの上に置かれた未完成のパズルを睨みつけ、 これもばらばらに崩し去った。
壁に掛けられた衣服をあたりかまわず投げつけ、突っ張りパネルを乱暴になぎ 倒す彼は、狂気に満ちた声を喉の奥から絞り出す。
「なんでだ! なんで俺なんだよ!?」
その光景を窓の外から見つめる女がいた。パズルの女だ。だが、闇の中たたず む今夜の彼女は、どこか寂しげでもある。
その気配に気づいたのか、望月は窓辺に近寄り、カーテンをそっと開けた。外 の闇にはなにもない。ふと窓ガラスに目をやる。
……ごめんなさい……
吐息の上に指でなぞられたその6文字が、なぜだか胸を締めつけた。
休日、望月は手持ち無沙汰に公園をぶらついていた。父親におんぶをせがむ小 さな女の子に、思わず心が和む。だが、それもほんの一時のこと。思い出される のはやはり、あの晩、自分の背中に抱きついてきた女のことばかりだ。
「彼女、もしかして……」
背中から抱きついたのも、エレベーターの扉を閉めさせまいとしたのも、もし や何かを訴えたくてのことではなかったか。彼はそんな思いに駆られていた。
日も暮れた帰り道、望月の後ろを例の気配がついてくる。コツコツ……。望月 は立ち止まった。併せて女の靴音も止まる。
「君は誰なの?」
振り返るまでの勇気はなかったものの、思い切って訊いてみた。
「パズルを完成させて、その後、僕をどうしたいの?」
しかし返答はあるはずもなく、重い沈黙だけが漂う。望月はさらに訊ねた。
「殺し……たいの?」
何を思ったのか、望月は左手をゆっくりと後方に伸ばした。ごくり、と息を呑 む。恐怖がないわけではない。だが、もしかしたら彼女を救うきっかけになりは しないか、まるでそれを模索するかのように彼は手を伸ばしていた。
後ろに差し伸べられた望月の手に向かって、透ける手がすぅーっと伸びる。が 、つながれる前にその手は闇の中へと消えていった。
そっと振り返る。そこに彼女はいなかった。
後日、貴重な情報を入手したというフリーカメラマン楠木涼からの連絡を受 け、大衆紙記者坂本剛一はビルの谷間にあるオープンカフェに友人望月を呼び出 した。
「栄恵大病院?」
怪訝な顔で望月が訊き返す。その病院と取り引きはないかと問う坂本に、一度 だけ病欠の同僚の代わりに行ったことがあると答えた。
「そのとき、なんかトラブルがあったんじゃないのか?」
だが坂本の問いかけには答えず、望月は何気なく空を見上げた。取り囲む高層 ビルの合間から垣間見える狭い青空を、白い雲がゆったりと流れている。パズル の女の背後にも、そういえばこんな青空が広がっていた。
「作ってあげたいんだ、あのパズル。」
ぽつりと呟く望月に、坂本の体が大きく動く。望月はかまわず続けた。
「彼女はただ、誰かに作ってもらうのを待ってる。」
予期せぬ友人の言葉に坂本は動揺した。
「おい、しっかりしろよ。殺されかけてんだぞ。」
「寂しそうなんだ、とても。」
望月はもう一度空を見上げる。
「空の下で、一人で待ってるみたいで……。」
「空……?」
「剛ちゃん、こっちこっち。」
涼が手招きする。栄恵大病院に足を踏み入れた坂本は、涼に導かれるまま院内 の売店へと足を運んだ。
「見て。」と涼が指したのは、売店で売られている一箱のパズルだった。箱に 描かれたパズルの完成図は、緑の草原とどこまでも広がる青い空。そこに人間の 姿は存在しない。
売店のおばさんが言う。
「それ、最後の一個なんですよ。いつも買ってくれた患者さんが亡くなったから ね。二十歳前のきれいな娘だったよ。かわいそうに。人生これからなのにね。」 さらに看護士が、彼女の残した手紙を見せながら、彼女の生い立ちを語って聞 かせてくれた。彼女は幼少の頃から病気がちで、両親とも早くに亡くした薄幸の 少女だったという。
未来の私へ……という書き出しで始まるその手紙は、生前彼女自身が未来の自 分に宛てたものだった。
涼が読み上げる。
「未来の私へ。これを読んでる私は、きっと死にたいくらいつらいことがあった んだよね……」
次の一文に、坂本と涼は顔を見合わせた。
「でも、思い出して。売店で本を取ってくれた介護士さん……」
確か、不審な自殺を遂げた3人の中に、介護士がいたはずだ。周囲の評判はす こぶるよかったという。
親切なその介護士は、彼女に陳列棚から一冊の本を取ってくれた。その本のペ ージには、真っ青な空が広がる草原が描かれている。彼はいつもやさしく笑いか けてくれた、彼女を見つけてくれた最初の人間だった。
次に彼女を見つけてくれたのは、タクシーの運転手だった。彼もまた、坂本 と涼が追っている自殺者の一人だ。
当時、この病院に入院していた彼は、生前のその彼女に、退院したら青い空の 下でドライブしようと約束してくれた。
「タクシーの運転手……。」
坂本は咄嗟に病院を飛び出した。涼も後を追う。
「信じられるかよ、死んだ女がパズルになるなんて。」
信じられずとも、目の前に起こっている事実はすでに動き出している。もはや 一刻の猶予もならない。急ぎ、望月に電話をした。
「おう、望月……なに?」
「どうしたの?」
つぶらな瞳で涼が坂本を覗き込んだ。彼の表情には焦りの色が浮かんでいる。
「最後のパズルが届いたらしい。」
望月は最後のピースをはめようとしていた。
タクシーの運転手が退院し、再び独りぼっちになってしまった彼女を癒して くれたのは、骨折で入院してきた高校教師……そう、彼もやはり動機不明の自殺 者だった。
彼は彼女に言った。運動会、晴れた空の下で食べる弁当が格別に美味いのだと 。その笑顔が眩しくて、彼女は次第に青い空への憧憬を抱くようになっていった のだろうか。
望月の自宅へと急ぐ車の中で、坂本が言う。
「彼女は亡くなった後、もう一度自分を見つけてほしくて、好きだったパズルに 身を変えて、男たちの元へ行ったんだ。」
「でも、みんな恐怖に負けて、途中で作るのをやめてしまったのね。」
寂しげに目を伏せ、涼が答える。坂本は再び言った。
「彼女は、そんな仕打ちをした男たちを殺してしまったんだ。」
「彼女が殺すわけないじゃない!」
「じゃ、3人の死はどう説明する!?」
「……。」
坂本から視線を逸らし、愁いを帯びた瞳で涼は呟く。
「事故よ……。ただの不運な事故。」
愁えた瞳にはうっすら涙さえ浮かべている。
「望月さんだけがパズルを作り続けた。彼女の寂しさに気づいてくれたんだよ! 」
「だからって死んでいいはずないだろっ!!」
涼の言い分もよくわかる。だが今の坂本にとって、パズルの女への感傷よりも 、何においても友人の命のほうが遥かに重いのだ。
涼は再び手紙の続きを読み上げた。そこには、望月との出会いが喜びに満ち 溢れたものであったことが綴られていた。
彼女がぼんやりと窓の外を眺めているところへ望月がやってきたという。彼は 窓を開けてくれた。雲ひとつない紺碧の空。光る風が彼女の細く長い髪を梳く。 「いつかあの空を飛べたらいいね。」
鮮やかな大気を浴びながら振り向いた望月の笑顔が眩しくて……、彼女はあの 空の向こうで望月と手を取り合い、ぐんぐんと舞い上がってゆく自分を夢見た。
その願いが、今まさに叶えられようとしている。
望月が最後のピースをはめたのだ。
パズルから発せられた煌めく無数の光の粒子が、望月の身体を包み込む。彼は 穏やかな笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がった。
「君だったんだね。」
完成されたパズルからすぅーっと差し伸べられた女の両腕に、望月は抗うこと なく惹き寄せられてゆく。やさしい光に包まれたまま、やがて光の導く方へと… …。
「望月っ!」
望月の部屋に飛び込んだ坂本と涼は、パズルの中に光が吸い込まれる瞬間を見 逃さなかった。しかし、望月の姿はない。あるのはテーブルの上に完成されたパ ズル、それから、坂本からの着信が最後となった携帯電話。
坂本はテーブルに近づき、パズルを見据えた。草原の大地の上に、どこまでも 広がる青い空。その風景に人間はいない。
「ばかやろう……。」
坂本が力無くへたり込む。涼はそのパズルの風景に向かって、どこかほっとし たように微笑みかけた。
「きれいな青空……。」
顔のない人物に惹かれた瞬間から その人物はあなたを向こうの世界へ引き込もうと狙っているのかもしれませ ん
パズルの向こうの世界で、手と手を取り、笑い合いながら歩いてゆく望月と女 がいる。
青い空、やさしい温もり。もうひとりじゃない。もう悲しむこともない。
さて、次にパズルが送られてくるのはあなたですよ、上田さん。
ウルトラQ〜dark fantasy〜【ヒエロニムスの下僕】
スタジオは騒然としていた。
いつにも増して数多の報道陣がひしめき合っている。
大衆紙記者の坂本剛一とフリーカメラマン楠木涼もそれらの中に身を置いてい た。
これから起ころうとする何かをファインダーで、この目で見届けてやろう、最 初はそんな軽い気持ちでいたのかもしれない。
「何言ってるのよ。ネットの中傷記事に振り回されたなんていったらいい笑いも のよ。」
報道番組のメインキャスター桑原真奈美は、スタッフの一人でもある夫・米田 の忠告を一蹴する。実は、「番組放送中に桑原真奈美を消す」という奇妙な予告 が、数日前からネットの世界を飛び交っていたのだ。
「消す」とはいったい何を意味しているのでしょう
米田は妻・真奈美の身を案じ、今夜の番組出演を取りやめるように説得してい た。顔面から噴き出るような脂汗をハンカチで拭ってくれる妻からそれを奪うよ うにして取り上げ、不安な面持ちで彼女を見つめ返す。
「とにかくこんな馬鹿馬鹿しい騒ぎ、早く終わりにしましょ。」
騒ぎの渦中にいるにもかかわらず、まったく意に介さないでスタジオへと乗り 込む真奈美の背中を、自分はただ黙って送り出すしかないのか。
取り囲む報道陣を押し退け、柳眉一つピクリとも動かさずにカメラの前に座る 真奈美を見るに堪えず、米田は苦衷を抑えスタジオを飛び出した。さっきから脂 汗が止まらない。廊下の壁に背をもたれさせ、真奈美のハンカチで額の汗を押さ える。
「……つっ!」
突如、掌の焼けつくような痛みに、反射的にハンカチを放り出した。そこで米 田は信じがたい光景を目撃する。床に落ちたハンカチが、まるで電解されるかの ように形を失い、そして消えてしまったのである。
戦々恐々とする米田の耳に、そのときスタジオから女の悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあああああああああああああああああああ……」
カメラの前で真奈美が断末魔の形相でわななきながら、ハンカチと同じように 電解されるがごとく消えていったのだ。
目の前で起こった事実であるには違いないのだが、その場にいた誰もがこの事 実をにわかには受け入れがたく、スタジオは、いやスタジオだけではない、テレ ビの前の視聴者たちでさえもただ呆然とするばかりであった。
ピリリリ……。涼の着メール音が鳴った。見ると「桑原真奈美は消えた」とあ る。送信者は「ヒエロニムスの下僕」。
ヒエロニムスという名をあなたは聞いたことがありますか
これからお話しすることは或いはすでに起こっていることかもしれません
言い知れぬ恐怖に思わずよろめく涼の肩を、坂本が咄嗟に支えた。
坂本がスタジオを出たところの長椅子に涼を座らせていると、不審な素振り の男と目が合った。米田だ。彼は坂本と目が合った途端、一目散に逃げ出した。
尋常ならぬ米田の行動に疑念が沸き立ち、坂本は涼を残して彼の後を追う。
米田が慌てて車に乗り込もうとしたとき、突然どこからともなく声が聞こえた 。
……助けて……
真奈美の声だ。恐怖から逃れるようにドアの取っ手に手を掛ける。
「あうっ!」
激痛に思わず手を引いた。見ると掌が焼けただれている。そこへ坂本が追いつ いた。
「ちょっと、あんた、なんで逃げるんだ。あんた、なんか知ってるな?」
だが、米田は即行車に乗り込み、坂本を振り切って走り去ってしまった。
米田が自宅マンションに帰り着くと、マンションの入り口で一人の男が待ち伏 せていた。
「あのう……、米田さんですよね。」
黒淵の眼鏡をかけた小柄で小太りの男が米田に近づく。
「僕、太田って言います。」
米田は、太田と名乗る胡散臭い男に警戒心をあらわにし、無視して立ち去ろう とした。が、次の男の言葉が米田を捉えて放さなかった。
「僕も下僕の一人なんです。あなたと同じ、ね。」
そう言って媚びたように笑うと、太田は紙袋からプレーヤー大の木箱のような 機械を取り出した。
「これを届けるようにって……」
心ならずも自室に招き入れてしまった太田に、米田は背を向け椅子に座り、微 かに放心していた。
「信じられないですよね。こんな簡単な機械で消えてしまうなんて。」
「俺にどうしろって言うんだ。」
「その前に一つ、“彼”に確認するように言われてるんです。奥さんの波動が残 っているものがすべて消えたのか。」
米田は背を向けたまま黙っていた。
「“彼”に何を渡したんですか? 写真と……、あ、奥さんいつもテレビに出て ますもんね。」
振り返らずに米田が答える。
「髪の毛だ……」
翌日、坂本と涼は、帝都大学理工学部教授・渡来角之進の元を訪れた。
「そのヒエロニムスってのは、何を発明したんですか?」
「害虫駆除装置だ。」
渡来教授はパソコンに向かい、ヒエロニムスのデータを検出してみせた。
「1948年合衆国2482773……」
クリックして解説を始める。
ヒエロニムス、それは20世紀、アメリカに実在した発明家の名だ。彼自身は至 って真面目な普通の発明家だった。彼が発明したのは害虫駆除装置。だが、ただ の害虫駆除ではない。なんと彼はその装置で、500キロ離れた農場の桜の木に発生 した毛虫を駆除したという。
それをするにあたって彼が農場主に送るよう指示したのは、桜の木の写真と毛 虫の屍骸だった。たったそれだけでヒエロニムスは500キロもの距離を越えて、一 匹残らず毛虫を消し去ったのである。
「そういうことが可能なんですか?」
「わからない。写真とその有機体の一部から、有機体固有の波動を読み取る、そ ういうことらしい。」
「波動?」
「じゃ、人間にも?」
坂本に続き、涼も訊き返す。渡来は眉間に皺を寄せた。
「ヒエロニムスもそれを一番恐れていた。」
つまり、写真と人体の一部、例えば髪の毛、爪、血液……等があれば、人間を 消すことも可能だということだ。
「まるで呪いね。」
「もっとも波動を読み取れるのは、この、誰でも組み立てられる装置じゃない。 あくまでも機械を使うオペレーターの能力に左右される。」
「できる奴がいるということですね?」
ヒエロニムスにはそれができた。オペレーターの能力を決めるのは、その機械 を信じるかどうかにかかっている。
そしてもう一つ、渡来はさらに危惧すべきことに気づいた。
「これを信じる連中が大勢現れる……」
米田は誰もいない自宅のリビングで独り、幻聴に悩まされていた。
……あなた……
紛れもなく妻・真奈美の声だ。悶え苦しむ声が耳について離れない。彼女は今 でもどこかで生きているのではないか、そんな希望と戦慄の混在した意識に苛ま れ、自責の念に身動き取れずにいる。
自分は本心から妻を消したかったわけではない。半信半疑で真奈美の髪の毛を “彼”に渡してしまったのだ。それがいとも簡単に彼女は消えてしまった。米田 もやはり、心のどこかでこの機械を信じていたのだろうか。
こんなものがあるから、と狂ったように装置を持ち上げ床に叩きつけようとし た。だが、できなかった。米田も“彼”に写真と体の一部を渡してしまった下僕 の一人だったからだ。
「真奈美、どこにいるんだ。」
と、そのとき白い女の影が廊下をすぅーっと通り過ぎるのを見た。よろよろと その後を追いかけ、寝室に足を踏み入れる。しかし、そこに真奈美の姿を見出す ことはなかった。
タンスの上に伏せられたフォトフレームに、吸い寄せられるように近づく。そ れを手に取り、フレームに仲良く収まる自分と真奈美を見つめた。
失って初めて知るものの大きさがある。ほんの些細な出来心が、一瞬にしてか けがえのないものを奪ってしまった。自縄自縛というにはあまりにも代償が大き すぎる。
フォトフレームを握り締め、動かない真奈美の顔を瞬きもせずに見つめる。す ると、動かないはずの写真の真奈美が突然、脳天に突き抜けるほどの悲鳴を上げ た。
「ひぁあああああああああああああああああああ……」
この世のものとは思えないその形相に、米田もたまらず共鳴する。
「きひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい……」
やはり彼女は苦しんでいる。今も阿鼻叫喚の地獄を彷徨っている。
スタジオは無秩序な混乱に陥っていた。
「米田はまだ見つからないのか。こんなときになにやってんだ、あいつは。」
看板キャスターの謎の消失とその夫の失踪に、スタッフ一同わけもわからず右 往左往するばかりだ。
そこに、黒淵の眼鏡をかけた小柄で小太りの男の姿があった。米田に例の装置 を届けにきた太田という男だ。太田もまた、“彼”に写真と体の一部を握られた 下僕の一人である。
米田と太田の、この世での存在を掌握する“彼”とはいったい何者なのか。“ 彼”の能力を以ってすれば、いつでも人間を消すことは容易いのだろうか。
活殺自在の陰に怯え、太田はビデオを回し続ける。新たなる仲間「下僕」を増 やそうとでもしているかのように……。
テレビ局の駐車場で、坂本剛一は米田を捕まえた。渡来教授と楠木涼も一緒だ 。
「米田さん、あんたが頼んだんだろ、ヒエロニムスの下僕に。そいつは今どこに いるんだ。教えてくれ。」
米田は悔恨の視線を虚空に泳がせている。
「真奈美を取り戻すんだ。真奈美の波動がわかれば……」
ぶつぶつと独りごちたかと思うと、米田は局内に向かって走り出した。3人も 後を追う。
編集室に駆け込んだ米田は、行方を晦ましていた彼が突然現れたことに憤る同 僚の肩をむんずと掴んだ。
「真奈美のビデオはどこだ!」
我を忘れ同僚に食らいつく米田の背後から、そのとき女性スタッフの悲鳴が上 がる。
「きゃあああああああああああああああああああっ!」
振り向くと、いきなり切り替わった編集画面に、真奈美が消失した瞬間の映像 が静止画の状態で映し出されていた。
真奈美の断末魔の形相に恐れをなし、米田は頭を抱えその場に突っ伏した。
「許してくれ! 許してくれ……」
その光景を目にした渡来がぼそりと言う。
「彼女は生きているんだ。映像だけが向こうの世界とつながっている。」
「向こうの世界でずっと叫び続けて……」
併せて呟く涼の横で、坂本は息を呑んでその光景を凝視していた。
……助けて……あなた……助けて……
米田の耳だけに届く真奈美の声、これを幻聴というのだろうが、彼にははっき りと聞こえていた。確実に真奈美は助けを求めている。それも夫である自分に対 し。
米田はふらふらと立ち上がり、画像に向かって歩き出した。妻の存在を確かめ るように画面に耳を押し付け、胸の奥で必死に許しを請う。だが祈りの甲斐なく 、真奈美はあの時と同じようにパリパリと電閃と共に消えていった。それだけで なく、壁のポスターの中にいる真奈美までもが消えてしまったのだ。彼女はもう 、この世には存在しないということか。
何かを悟ったのだろうか。米田はのろのろと画面から身体を引き剥がし、坂本 に歩み寄った。自分の名刺を握らせる。
「俺の家に来てくれ。見せるものがある。」
さらに耳元に顔を寄せ、密かに囁いた。
「それから、警察を呼んでくれ。」
それだけ言い残すと、米田はそそくさとその場を後にした。
テレビ局を後にし、車に乗り込もうとする坂本ら3人に、一人の男が近寄っ てきた。太田だった。
「あの……、この件に関しては深く立ち入らないほうがいいって“彼”が言うん です。」
坂本と涼は怪訝な顔を互いに見合わせる。太田はさらに言った。
「“彼”ならビデオだけでもできるんですよ。」
太田の言葉に2人の顔色が一変した。
「俺たち撮ったのか!?」
坂本の憤怒に太田がびくつく。気を逸らそうと太田は、渡来に媚びた目つきで 笑顔を向けた。
「あの、渡来博士ですよね。尊敬してます!」
笑とも悲鳴ともつかない奇声を発し、太田は逃げ去ってしまった。
「あたしたち……消されるの?」
音もなく忍び寄る恐怖だけが、彼らの心底に植えつけられていた。
その日、坂本は私服刑事2人を連れ、米田の自宅を訪れた。鍵は開いている 。刑事に促され、ドアを開け入った。
3人がリビングに立ち入ると、米田がテーブルに置いた装置の前に立っていた 。どうも様子がおかしい。見ると、彼は指を掻き切り、自らの血液を装置にぽた ぽたと滴らせていた。
「そこで見ていてください。」
見るに見かねて駆け寄ろうとする坂本を米田が制する。
「近寄るな!」
その声に坂本ははっと立ち止まった。迂闊に近づけば、米田もろとも向こうの 世界へ連れて行かれてしまうかもしれない。
「刑事さんたちもはっきり見るんだ。これがどんなに恐ろしい機械かを。」
坂本たちが固唾を呑んで見守る中、米田の身体はパリパリと放電する電流に包 まれていった。
「……奈美……真奈美……」
徐々に米田の身体が電閃の中に失われていく。
「もうすぐ行くよ、真奈美……ぬおぁうぉおおおおおおおおおおおおおおおおお おおおおおお……」
やがて米田は、断末魔の叫び声を上げながら、電閃と共に跡形もなく消え去っ た。
不思議そうに装置を覗き込む刑事の傍らで、坂本は開かれたままのノートパソ コンに近づいた。マウスにそっと手を置き、起動させる。
ディスプレィに現れたのは「ヒエロニムスの下僕」というタイトルと、その下 にある「合衆国特許2482773」という数字だった。
間もなく、サイトの主催者は逮捕された。犯人の部屋から名簿が見つかり、そ れらのいずれも行方不明者と合致したということだった。
コツコツと刑事が机を叩く。警察の薄暗い取調室には、刑事2人と太田がい た。
「あの……もう調書は取り終わったんですよね?」
訝しむ太田の前で、コツコツと刑事は机を叩き続ける。もう一人の刑事は、ブ ラインドの閉じられた窓辺で無表情に突っ立っていた。
机の刑事が、やにわに薄嗤いを浮かべる。
「やっぱり、人を殺しちゃいけない理由ってあると思うんだよね。」
「だから僕はやってませんって。彼女は生きてます。」
太田はあくまでも「下僕」の一人であって、直接手を下したわけではない。だ が刑事は相変わらずコツコツと机を叩き、鼻で嗤う。
「そうじゃなくて。なんで殺しちゃいけないかっていうと、一度やったら歯止め が利かなくなるんだよね。つまりやってはいけないことがなくなるってこと。」
「ああ、なるほどね。でも僕は違いますから。」
シャッ……! 窓辺の刑事が、突如ブラインドを開け、窓を全開にした。眩し い陽光に照らされた太田は全身をびくつかせる。机の刑事がすっと立ち上がり、 太田に近づく。脅え、転げるように席を立つ太田を、背後から窓辺の刑事ががっ ちりと押さえ込んだ。
「ちょっ、ちょっと……」
2人の刑事は、開け放たれた窓の外に太田の上半身を仰向けに押し出した。
「待って、言うから。俺も本当は下僕の一人なんだっ! 言う通りにやらないと 俺も消され……」
必死で抗う太田を、刑事2人は無感情に押し出そうとする。地面までは十数メ ートルの高さだ。とても脅しでやっているようには思えない。2人の刑事には殺 意が見て取れた。
「たっ助けてーーーーーーーーーーーーっ!」
ドサッ……。警察の駐車場で車に乗り込もうとしていた坂本と涼は、鈍い音 を立てて何かが落下したことに気づき、振り返る。
「……!」
2人は震撼した。建物の傍らに、太田がうつ伏せの状態で息絶えていたのだ。
おそるおそる近づこうとした瞬間、太田の身体からパリパリと電流が発せられ、 彼もやはり、真奈美や米田と同じように電閃と共に消えていった。
太田が落ちてきたと思われる上方を見上げる。上階の窓から2人の刑事がこち らを向いていた。目が合ったかどうかはわからない。その表情さえ読み取ること は叶わなかった。彼らの顔は霞がかかったみたいにぼやけていて、その表情を組 み立てるパーツすら定かではないもののように見えたから……。
彼らもまた、何かの下僕だったのだろうか。
私たちも明日、何の前触れもなくこの世から消されるかもしれないのです
……きゃあああああああああ……ぅあぉおおおおおおおおお……あなたぁああ
ああああああああ……
生きながら送り込まれた世界では、真奈美も米田も太田も、さらには予期せず して消されていった人々も、無限の闇の中で永遠に悲鳴を上げ続けるしかない。
ウルトラQ〜dark fantasy〜【楽園行き】
2月16日。退職した後藤よりあの噂を聞く。
2月21日。後藤から楽園のことを詳しく聞く。彼は本気で信じているらしい。
2月24日。そこに至る道は「配達人」だけが知っている。
雑誌「MIND」記者坂本剛一の知人女性の父親が、謎の業務ノートを残し、失跡したという。
彼女の父巽は、かつて大手企業の営業部長であったが、ある日突然下請工場への転属を命じられた。
巽が業務ノートに奇妙な日記をつけるようになったのは、その頃からである。
女性からノートを借り受けた坂本は、巽の転属先の下請工場を訪ねた。
「イジメ? あるわけないでしょ。」
応対した責任者は、坂本の疑念を否定した。
本社の重役が下請に転属、これはつまり出向社員とは名ばかりで、その実は体のいい左遷である。
給料は保証されるものの、仕事は与えられない。自主退社を暗に促すも同然の扱い、俗に言う窓際だ。
入社以来、営業畑の第一線を遮二無二走ってきた巽にとって、それはあまりにも酷い仕打ちであった。
仕事人間としてのプライドも大いに傷つけられたことは、想像に難くない。
だがこれが、巽の失跡と直接の関係があるのかどうかは、現時点ではわからない。
坂本は、巽と同様に下請に転属させられ、その後退社した後藤という男の転職先も訪ねてみた。
「辞めた? なぜですか。」
後藤はすでにこの会社を辞めていた。しかし、職務内容が合わなかったということ以外、明確な回答は得られなかった。
ただ、電話で一言「楽園へ行く」と言い残したきり。
何気なくオフィスに目をやる。新人OLを叱咤する男性社員の姿が見えた。
「ちゃんとやっといてくれよな。俺が怒られるんだから。」
直後、その男性社員に向かって上司の怒号が飛ぶ。
彼もまた、不条理な上下関係に怯え、やり場のない憤りを、新人の女の子という自分より弱い生き物に転嫁しているだけなのだ。
2月28日。「配達人」と取り引きしているコンビニを探し当てる。同日、その場所に後藤が行く。
3月5日。楽園行き。
  この日を最後に、巽の筆跡は途絶えた。
楽園行き 楽園行き 楽園行き……
その言葉を初めて耳にしたとき彼はすでに禁断の時空に足を踏み入れていたのかもしれません
「配達人」という言葉が気になった坂本は、その「配達人」とやらが現れるというコンビニを張った。
一見どこにでもある普通のコンビニ。男性店員がゴミ出しに出てくるくらいで、別段変わった様子はない。
店に近づくと、入り口横、地面に直に置かれた置物大のオブジェに気づいた。首をかしげたそのときだ。
異様な雰囲気を漂わせる人物がコンビニに向かってくる気配を感じた。
職業柄、反射的に植え込みに身を潜める。それからもう一度その人物を注視した。
その出で立ちは黒いハットに黒いサングラス、黒いロングコート、黒いスラックス、そして黒い靴……。
爪先から頭のてっぺんまで黒衣で覆い尽くされている。男なのか女なのかすらわからない。
黒衣の者は無表情で、足早にコンビニ脇のゴミ箱へと向かった。
ゴミ箱の傍に置いてある小さなダンボールを開け、食料らしき中身を確認する。
すると背後から先ほどの店員が無表情に現れ、黒衣の者からVHSテープのような物を受け取った。  
用が済んだのだろうか。黒衣の者は元来た道を再び戻っていった。坂本は後をつける。
黒衣の者の後を追って坂本が辿り着いたのは、地下ショッピングセンター街にある雑貨屋だった。
店内から女性店員が出てくる。黒衣の者は、無表情な彼女から厚みのある茶封筒を渡されると、すぐにそこを立ち去った。
ショーケースに飾られたオブジェが不気味に光る。コンビニ前に置かれたオブジェに似ているようで微妙に違う。
坂本は店舗脇に歩いてゆく店員を目で追った。
彼女は、地下道の壁面に置かれた数個のVHSテープに似た物を拾い上げている。
これも黒衣の者が置いていったのだろうか。そして、これが巽の日誌にあった「取り引き」なのか。
不審を募らせ、坂本は再び黒衣の者を追いかけた。その者が消えた扉を開けると、そこは地下駐車場だった。
見失うまいと必死で追う。違う扉を開け中に入ると、下へと続く階段があった。
携帯していた懐中電灯で行く先を照らし、階段を降りていく。
しばらく降り行くと、地下鉄構内に出た。線路を辿り、下へと続く階段があればまた降りる。
さらに下へ下へと降りていったところで、ようやく遠方に黒衣の者を発見した。
慌てて追いかけるが、再び見失ってしまった。
暗闇の地下構内を、黒衣の者を捜し回る。
低い空洞に長身をかがませ、迷路のように張り巡らされた配管に沿うようにして歩き続け、また元に戻る。
狭い隙間を壁伝いに這い、階段があればまた降りる。
そうやってどれくらい捜し続けたのだろう。帰り道さえももうわからない。
ただ夢中で黒衣の者を追いかけていた。記者としての本能もあるかもしれない。
だがもう一つ、少しでも知人の父親の足跡を知る手がかりを得られるならば、そんなひたむきさも坂本を突き動かしていた。
携帯電話の電波は届かない。「ちっ」と悔しげに舌打ちする。そのとき、思わず目に飛び込んできた光景に目を見張った。
見下ろした先に広がっていたのは、コロッセオのような地下都市だった。
巨大な空間に、無数の人々が往来している。ふと、その中のある行列に目を留めた。
その行列は、食料をもらうための行列だった。
驚いたことにその食料を配っているのは、あの黒衣の者だった。
食料を渡す代わりに、例のVHSテープに似た物を受け取っている。あれはいったい……。
坂本はその空間に降り立ち、デジカメを構えた。
「何してるんだ?」
背後の声に、咄嗟に逃げ出す。
「侵入者だ!」
必死で抗うが、あっという間に取り囲まれ、押さえ込まれてしまった。
「放せ! 放せよ!」
なおももがく坂本に、野次馬がわらわらと集まってきた。その中の一人に坂本ははっと気づいた。
「巽部長……」
謎の業務ノートを残して失跡した巽の姿が、そこにあった。
ダンボールハウスより少しはましなテントに、巽部長は坂本剛一を招き入れた。
「そうか、娘が君に……」
「娘さん、心配してましたよ。」
自分の父親が、このような地下都市に棲みついていたとは、よもや娘の喜代子も知るまい。
いや、娘のみならず、坂本をはじめ地上のほとんどの人間がこの世界の存在を知りはしないだろう。
ここはかつて建設途中で中断された地下街の跡だという。
いつしかそこに誰ともなく棲みつき、横に掘り広げていって、こうした巨大都市が出来上がったのだ。
「もしかして、業務日誌に書いてあった楽園って……」
「そうだ。ここだよ。安楽の園、だから楽園だ。」
「安楽の園……ですか。」
狐につままれたような顔つきで、巽を見つめる。彼が入れてくれた古いインスタントコーヒーを、坂本はためらいがちな笑顔で「いただきます」と口にした。コーヒーを飲みながら、テント内をぐるりと見回す。
「この電気……」
「大容量バッテリーだよ。開発途中に捨てられたのを誰かが使えるようにしたらしい。電気はその辺の共同構から拝借してね。」
なるほどと坂本はうなずく。だんだん読めてきた。例の黒衣の者が「配達人」で、その者が回収していたVHSテープに似た物とは小型バッテリーだったのだ。配達人はここで集めた電気と引き換えに食料やらを仕入れ、ここへ届けにきていた。
「そうか、あいつはそれ(電気)を地上で売り歩いてるのか。」
配達人から充電済みのバッテリーを受け取る代わりに、食料やその他の物資を渡す。
そうやって取り引きしたい店は、取り引きしたい額に応じて目印を置いておく。つまりオブジェがそれだ。それを見た配達人が店に現れ、契約を交わすという仕組みになっていた。これだけのことでその店は月に5、60万もの経費が浮くという。
「いったい何者なんです?」
「さぁ……? しかし、都市にはそういう輩が生息している。いつの時代にもな。」
「はぁ……」
ここまで聞いてもどこか合点がいかない。
「あの、トイレとか……?」
「人間、トイレと食料と住むとこさえあればなんとかなるもんだって痛感したよ。」
  地下都市内部を案内しながら巽が語る。ここには100人、いやそれ以上の人間が生活しているらしい。
「楽園の噂を信じた者だけがここに集まる。私や後藤みたいにね。」 「後藤さんもここにいらっしゃるんですか?」
だが、巽は坂本の問いには答えず、無言で顔を背けた。
「地上にない幸せがここにはあるというんですか?」
誰もが思い浮かべるであろう疑問を坂本が投げかける。巽は素っ気なく言い放った。
「なにもないよ。」 「じゃ、なんで……」 「我々はただ待っているのさ。」
チーン……。お鈴(りん)の音に2人が振り向く。近くにいた住人らもそれぞれ動作を止めた。
帽子を脱ぎ、黙祷を捧げる者もいる。
「また誰か逝ったようだ。」
巽が無感情に告げる。 「まさか……」
「こうして最期のときを待っているのさ。」
まさか、最期のときを待つためだけに、ここに来たというのか。
「さて、君のことだが、どうしたもんかな。」
巽の言葉に坂本は動揺した。よもやここから帰してもらえないということか。
「いや、帰してやりたくても道がわからんのだよ。」
ここに至る道は、配達人だけが知っている。巽たちもみな、配達人に連れられてここまでやってきたのだ。
坂本一人では、あの迷路のような地下構内を地上まで辿り着くことはかなわない。
「いっそのこと、君もここで暮らすかな?」
「っ……冗談じゃないっすよ!」
坂本が声を荒げたそのときである。
「しっ。」
不気味な地鳴りに気づいた巽が、口に指を立て坂本を制した。
「戻ろう。あいつらに見つかったら大変だ。」
「あいつら?」
ゴゴゴゴゴゴ……。その間にも、不気味な地響きは確実に近づいていた。
人気のないほうへ逃れると、坂本は巽に言った。
「巽さん、一緒に戻りましょう。娘さんが待っています。」
「君ぃ、あれはもう立派な大人だよ。一人でも十分やっていける。」
「そんな……」
坂本はもどかしげに巽を見た。
確かに娘の喜代子は成人だ。だからといって、わけもわからず父親を失っても平気で一人で生きていけるほど、親子の情は割り切れるものではない。
ゴゴゴゴゴゴ……。再び地響きが近づいてきた。
「いかん、あいつらだ。」 「あいつらって?」 「ネズミ捕りだ。」
荒々しく砂塵を巻き上げるキャタピラを地中に轟かせ、戦車が赤いレーザーを放ちながら突き進む。
それと並行して、白い防護服に身を包んだ兵士たちが武器を片手に徘徊する。顔は防毒マスクにすっぽりと覆われているため、表情はわからない。単に狩りというゲームを楽しんでいるだけかもしれないし、或いは確かなポリシーの 下に邪魔者を排除しようとしているのかもしれない。
いずれにせよ、ここにいては危険だ。2人は壁の陰に身を隠した。
が、戦車から放たれた赤いレーザーの光粒が、巽の服に食いついた。
「いたぞ!」
防護服の兵士らが2人を見つけ、向かってきた。慌てて逃げる。
「うぎゃああああああああああああああああああ……」
末期の絶叫が耳をつんざく。
悲鳴の発生源で2人が目にしたのは、情け容赦なく毒ガスを噴きつけられている地下住人の姿だった。
感傷に浸る間もなく、ハンカチを口に当て2人は再び走り出した。
防護服の兵士らは、地下都市に棲む住人らを鼠に見立て、まるで害獣を駆除するかのように殺生している。
ついに2人は「ネズミ捕り」に行く手を阻まれ、追い詰められてしまった。
「ネズミ捕り」らが2人に向かって毒ガス噴射機を構える。万事休す。と、その後ろから住人仲間が鉄パイプで「ネズミ捕り」らに殴りかかった。
「こっちだ!」 間一髪のところで助けられ、2人は仲間たちと共にその場を逃れた。
「どうして放っておいてくれないんだ、あいつらは。」
憎悪の炎をたぎらせ「ネズミ捕り」を睨みつけると、巽は再び前を向いて走り出した。
息を切らしテント街に戻ると、またも衝撃的な光景に愕然とした。
住人たちはすべて毒ガスに侵され、死屍累累たる惨状をさらしていたのだ。
怒りに全身を震わせる巽の背後から、またも「ネズミ捕り」の食指が伸びてくる。
仲間たちが鉄パイプで応戦するも、一人、また一人と暴力に倒れていった。
「君は逃げるんだ。」 巽の瞳に決死の覚悟を汲み取った坂本は、必死に訴える。
「一緒に逃げましょう。」 「我々はここに残る。君、たとえ地上に戻れたとしても、ここでのことは秘密にしておいてくれ。もう、そっとしておいてほしいんだ。」
「しかし、娘さんにはなんて?」
巽の娘喜代子の顔がふとよぎる。なんとかして父親を探し出したい。生きて再び父に会いたい。
自分に向けられた頼りなげな笑顔と、すがるような眼差しを思えば、坂本が平静でいられるはずもないのだ。
坂本の言葉に、巽の身体が一瞬止まる。そして、ゆっくり坂本を見据えると、巽は答えた。
「幸せになるように……」 それが彼の最期の言葉だった。 「巽さんっ!!」
果敢にも敵に挑みゆく巽の背中を追いかけようと咄嗟に駆け出したが、そこで思わぬ邪魔が入った。「配達人」だ。
「なにすんだよ! 放せよ!」
激しく抵抗する坂本を引きずるようにして、配達人は彼を地下都市の外へと連れ出した。
「ネズミ捕り」はそこにまで及んでいたが、配達人がそれらをばったばったと投げ飛ばし、蹴散らしていく。
坂本に一瞥をくれると、配達人は走り出した。地上へ導こうとでもいうのか。坂本は一瞬のためらいを見せたが、迷っている暇はない。配達人の後に続き、坂本も夢中で走り出していた。
暗闇の地下構内に飛び込むと、いつの間にか配達人は消えていた。
代わりに昇り階段を見つける。何も考えずに、ただひたすら昇った。昇るしかなかった。
息も切れ切れに地下ショッピングセンターまで辿り着き、朦朧と入り口の階段に膝から倒れこむ。
あれはいったいなんだったのか。東京の地下に広がる巨大都市は、そして、巽はあの後どうなってしまったのか。
今となってはそれを確かめる術もない。
うずくまり、また身体を起こしては放心しているところで、背後の気配に気づく。 「落し物ですよ。」
目の前にぶら下げられたデジカメを見上げると、その先には黒いスーツに身を固めた女が微笑みかけていた。
不敵な笑みを残し、彼女はそこから立ち去った。急ぎ、フォト記録を確認したがデータはすべて消去されていた。
悔しげに拳を膝に打ちつける。そこではっと我に返り女の後を追うべく、地上に到達する最後の階段を一気に駆け上がった。
朝陽の眩しい光矢が瞳孔を貫く。暗黒に慣れてしまった目が明順応するには少々時間がかかる。
目を細め彼女の姿を探した。だが、すでにその姿はなく、坂本が彼女にまみえることは二度となかった。
地上のありとあらゆるものを、どれほどの光彩が照らし出そうとも、禁断の時空が白日の下にさらされることは永遠にないのだ。
後藤が勤めていた会社では、あの男性社員・山井が椅子の背もたれに体重を預け、虚ろな眼を泳がせていた。
と、山井の背後に、彼に叱咤されていた新人OLが近づき、その肩にそっと手を置いた。ピクリと山井が体を震わせる。
無表情で彼女は自分の席に戻っていった。
何を思ったのか、山井は挙動不審に立ち上がり、のそのそと歩き出した。
OLの背後で不意に立ち止まる。彼女に視線を向けるが、振り返ってはくれない。無言のまま山井はそこを通り過ぎた。
OLに不敵な笑みが浮かぶ。その微笑は、坂本が最後に会った女が残した微笑そのものだった。
彼女の正体は、あの「配達人」なのか。誰も知らない「配達人」の正体。
彼女がそれだという証拠はどこにもない。
それよりも人類が今問題にすべきは、「配達人」が誰なのかということではなく、「配達人」にいざなわれたいと願う人間をいまだに排出し続けている、この地上の世界なのだろう。
あの地下都市を楽園と感じるかどうか
それはあなたの日常がどれだけ魅力的なのかにかかっているのかもしれません
この彼の場合は……
  山井は業務予定表のホワイトボードにふらりと近寄ると、自分の欄にマーカーで書き記した。
「楽園行き」……と。
<ウルトラQ〜dark fantasy〜【楽園行き】終>